情緒の記憶

「かんちがい」

遠い夜

 

 


広い夜が寂しくて、何かと向き合って何かで満たされて、空虚を埋めたくて、そんなときに誰かと電話するよりも先に思想と向き合おって思い始める宗教的なあむちゃんの、ただの戯言。御託。精神世界のお話です。


すきとさみしいの話。を結構多くの方に読んで頂けたみたいで光栄です。どう思ったかな。
内容考える時は独りの世界だけど、発信してしまったらそれはもう会話だと思ってるから、正解なんてないから、教えてね。リプでもDMでもラインでも。




本題。

こないだ買った本に、

「私の心は誰かが私に触れるから生まれ、心と呼べるのだと信じ耐え抜きたい。私の心は誰かが持って居て、誰かの心は私が持っているのだと憧れていたい」

っていう一文があって、その文は、その文を表現する単語が見つからずに居て、先に進めずに居た壁そのものであるように感じました。

 


私はどちらかといえば、メンタルが強い方ではなくて、それをいかにうまく逃すか、いかにうまく、そして程よく向き合うのかを考案したときにきっと、形而上学的な思考にシフトチェンジするかのように物事と向き合います。でも、

この一文はなぜか、全くもって違和感を覚えなかった。
そして共感できました。感化なのか、共感なのかは未だわからずにいるけれど。


 

 

 


形而上学は、“世界”そのものを肯定する思想の傾向。
その“世界”に“私”は存在してなくって、わたし自身が作り上げた“世界”とは異なり、当人の人生、当人の思考とは、全くもって別の世界と考えるのが妥当です。


私はずっと、そういった広い世界の中の自分と向き合って、どこか遠くから自分や周囲の環境を眺めて、「こうしよう」「ああやってやろう」というよりかは、自分をどこかで操っているような「こう言わせたら面白い展開になるな」だとか「こうやって接したら楽しめるかな」って、一歩下がって物事を考えたり。

 

 

 

 


一言でいうなら「客観視能力」。そんなものが根付いていて。

 

 

 

 


だから、辛いことを親身に受け止めたりしなくてヘラヘラして生きていられるのだけど。

 

 

 


でもそれって淡白で、ものすごく寂しいことでもあってね。

辛いこと、しんどいこと、怒り、悲しみをフルダメージで真っ正面から喰らわないのはとてつもないメリットなのだけど、嬉しいことを素直に嬉しいって思うよりかは「まじ?」「えそれもしかしてわたし嬉しいやつじゃん」「っしゃー」って段階踏む(笑)し、「欲=損得感情」なときが多々あったり、それってなんかすごく機械的というか、せっかく人には他の生き物と比べられないくらいの感情があるのに、勿体無いなと思う時が多い。それを表現する日本語だって少ないわけではないのに。

ましてや私は、こうやって感情と向き合うのが好きだから、どうせならぜんぶぜんぶ、味わい尽くしたい。




客観視能力があるから私は、マイナスなことからスルスル通り抜けて、真っ正面から向き合わないでいれるのだけど、あくまでも、順序はその逆で。「客観視できる→マイナスがあってもつらくない」じゃなくて「つらい→客観視しよ」って、こういう能力が備わったんだよ。
なら、そうやって外側から見続けた世界の中で、マイナスを受け止めたら、つらいことと向き合ってみたら、それ、私の世界って、「つらい」というよりかは「「つらい」と向き合ってる」になるんじゃないかなって。


そうやって、つらいこともぜんぶ「味わう」に変換できたらなあ。


とは言ってもつらいもんはつらいよね。だからその時にもうちょっと、その時の感情を知り尽くして、分析して、書き留めておけるような、バランスの良い感覚で向き合えたら良いなと思う。
せっかくだから、その瞬間の、その時の私の目線でしか見れない世界を知り尽くしておきたい。



影響されることはとってもいいこと。
だれかに喜ばされたり、驚かされたり、期待したり、絶望したり、泣いたり、怒ったり、孤独感を味わったり。
それは、「好き」や「尊敬・憧れ」がないと成立しないもので、だから、故意的に味わえるものではなくって。


でも、好きだからこそ、「いいこと」だけでは済まされないくらい暗くて遠くて広い夜だってあるわけで。



その影響がプラスかマイナスかで、結構向き合い方も考え方も感じ方もなにもかもが変わってくるよね。だから錯乱してたんだー!て、はじめに書いた文章を読んで共感してしまった自分に違和感を抱いて、解剖してみて、わかったこと。

いいことは「いいこと」として真正面から受け止めて浸透させるのに、よくないことは「「よくないこと」と向き合ってる」ってフィルターかけて生きてるから、錯乱してた。




それが「上手く生きてる」というならば、そうなのかもしれないけれど、毎日そうできるわけでもないよ。余裕がない日は尚のこと。





そこで、最初の文。
とにかく、きっと、私は独りになりたくないんだとおもう。
客観して、つらいときは独りになろうとするくせに、私の心の主導権は“誰か”がよくて、“誰か”の心の主導権は私がいい。

でも、その“誰か”次第で、どんなに晴れた日でも、どんなにお金や心に余裕がある日でも、どんなにハーゲンダッツが安売りしてる日でも、死にたい日に変わってしまうことだって避けられない。


理屈ではその相互関係がとてつもなくリスキーだって、わかってるんだあ。


理屈と虚無感がいったりきたりして、勝ったり負けたりして、落ち着かない。



だから解決はしてない。わかってるんだけど、わかりきれない。








でもね、解決してると思えばしてるんだ。

この天秤が、綴ったうちの、「味わいたい」に当てはまるのであれば。






なんか、続きがある、と匂わされて完結した映画みたい。





このブログ、完成…したつもりはないけれど、終わらせるのに2ヶ月くらいかかった(笑)


いろんな心が染み込んでるなあ。

 

 

 

 

境界線

 

 

 

 

恋愛感情と友情の境界線ってなんだろう

 

 

 

 

って、みんなもきっと知っているであろう()ある友達とファミレスにいたときに、私がふと口に出した時から、私と、その子と、遠くにいる素敵な思想をもった友達の3人で長々と考えてたのね。

答えがわかったから綴るってわけじゃないけど、なんかちょっとスッキリした気持ちを見つけたから、記しておくね。

 

私が思ったのは、んー、私の経験からすると、恋愛感情って存在しない。

 

設問から逃げたわけじゃないけど、いろいろ考えてたどり着いたのがここ。そもそも2択で考えてたのが間違ってた。ちょっと柔軟な思考で、斜め上から考えた時に、あれ、そもそも恋愛感情ってなんだ。って。

 

愛情を感じる瞬間や、確認する瞬間、芽生える瞬間って分かりやすいくらい分かる。悔しいくらい。怯むくらい分かる。

 

けれど、恋愛感情を感じる瞬間、芽生える瞬間ってわからないなあと思って。

 

存在自体を無くしてしまうことほど切なくてつまんないことってないと思うけど、大好きな人ができたにもかかわらず、未だ、私のこころの中に恋愛感情って存在してない。

私の恋愛の形がそうなだけなのかなあ。抱く気持ちが、大きすぎるのかなあとも思うけど。

 

 

ネットで「恋愛感情」って検索しても「恋愛感情 ない」「恋愛感情 わからない」

友達の話聞いても「好きって何?」「好きがわからない」

めちゃめちゃ分かる。本当に本当にわかる。私もわからないもん。

 

 

 

きっとね、恋愛感情っていう幻想、世界が創造しすぎてる。

彼氏とか彼女とか、すきぴとか推しとか、そんな類の存在を代名詞にしてしまったことがそもそも違う。

 

 

私の中で、恋愛感情はときめき。「どちらかといえば好感」な相手に「当たり障りのない程度のキュンとくる行動」をされたら、きっと相手が誰だろうとときめける。そんな気しない?それを恋愛と勘違いして心の中にしまい込んでる人が多いんじゃないかな。

でも、「推し」の概念があったり、冷静だったり、淡白、感情を並べ出して客観視できる人、は、勘違いしない傾向にあるかなって思う。私の周りの感じだと。総括して表現すると自頭がいい人。

 

 

 

じゃあ、愛情ってなんだ。って、なるよね

 

 

愛って、それを向ける相手が動物だろうと同性だろうと、生命のないものだろうと芽生える感情っていう印象。

 

私が愛を感じたのは、

笑ってる顔が好き、から、眠っている顔が好き。に切り替わった瞬間かなあ。

 

 

 

 

わかりやすくいうと、友情や人情、温情っていう大きな箱の中に、愛情っていう小さな箱があって。

 

その大きな箱だけに入ってる人か、大きな箱の中にある小さな箱に入れているひとの二択。

 

 

だから境界線が難しかったんだって思って。選択肢がそもそもくっきり二つに分かれているわけじゃないから。

 

 

それでね、すっきりしたの!

 

 

愛なんて、それはみんなわかるよね。恋愛感情の進化系が愛なわけじゃない。

 

愛しいとか、自分のことが疎かになっても何かしてあげたいとか、自分よりも幸せになってほしいとか。

 

そうやって考えたらなんか、簡単になった気がするの。

「ときめき」を勘違いして付き合ったり、好きになった過去はいい思い出ない本当に(笑)慣れちゃうんだもんときめきって。なくなるもの、当たり前に。

楽しさやわくわくを選ぶならときめきを推奨するけど!!その手の話もだいすき!!!恋愛観はカスだから!!!

 

 

ていう、私の見解。

 

今の私は、恋愛を知って、前より人間味が増したって友達に言われてね。

淡白で、全部どうでもよくて、だからこそ自分の世界を保てて、そんな私はもう居なくって、それはちょこっと寂しかったりもするし、今はアンバランスすぎるし。

まだ恋愛と私を上手に天秤にかけて、幸せを心に染み込ませたり、その天秤のうえで、自由にしたりできる余裕はないけど。

 

 

 

今の私のバランスだからこそ見える世界と感じる空気があるから、刹那を愛したいなあ。

 

 

感情ってたのしい、みんなはどう思いますか。

ベッドに潜って寂しさを感じた時に考えてみて。私のこと思い出してみて。

 

見つかったらおしえてね。

 

 

 

 

 

 

 

すきとさみしいの話。

 

 

 

「真夜中が寂しくてよかった。季節も雨も香りも、寂しくてよかった。ディズニーランドもプラネタリウムも、放課後も帰り道も、青春も、寂しくてよかった。」

 

 

これは私がいちばん好きな、私の参考書とも言えるエッセイの一文です。

 

エッセイや精神論の解釈の仕方って、個人差があると思うし、自分の精神状態や環境でも変わってくると思うのね。だから、今の私の捉え方を綴っておきたくなりました。みんなの捉え方も知りたいから「いつか別れる。でもそれは今日ではない」買って!!そんで読感送りつけてきて!!!お願いね!!!

 

 

 

まずこの一文を読んで気づいたことは

 

「寂しいから好きなんだ」です。簡単にいうと、「好きだから寂しい」。

 

 

終わった後寂しいからリピートしたくなるし、好きだと思える。好きだって思えるものはきっとそれをしてる時間よりそれに想いを馳せてる時間の方が長い気がするんです。その間に愛が膨らんで、好きだと思えて、それ自体が好きだというよりは、それに心を寄せてる時間が、なによりも好きなんだ、と。

 

"それ"は人それぞれだと思うし、"それ"が空間なのか、物なのか、人なのかも人それぞれだとは思うけど、作者さんがはっきりしてるようでしてない言葉の選択をしてくれるので全員に当てはまれるような文章でした。素敵か。

 

 

好きなものはずーっとしてたいし、ずーっと求めてるし、ずーっと探してる。でもきっと、ずーっとあったら、好きじゃなくなる。

「デートは盛り上がったところで切り上げろ」といろんな所で耳にするけど、きっとそれと原理は同じで。ずーっと好きなもので楽しむためにはずーっと好きでいなきゃいけなくて。そのためには、ずーっと恋しく思ってなきゃいけない。好きなものに対しての感情は「8割寂しさ:2割好き」くらいが丁度いいんだ、と改めて思えました。

 

ヲタクしてる時にさ、もちろん、寂しい時間の方が多いわけじゃん。会えないし!会えても2時間だし!!ファンサくれるかどうかなんて賭けだし!!!

 

私は、現場が決まった2ヶ月前、それを糧に頑張れる1ヶ月前、わくわくしだす5日前、どきどきする当日。終わった後の余韻。その全てが捉え方によっては寂しい時間だと思うんです。

 

 

でも、「楽しみ」とも言える。そこに大きな好きがあるから。2時間のために、2ヶ月も前から下準備して、想いを寄せて、ほんっっっっとにヲタクって可愛いよなあ(なんの話)

 

だから、好きと寂しいは紙一重だなあって。

 

人は悲しくも慣れてしまうものだから、求めるけど、手に入ったらなんか違うってなると思うんだ?

小さい頃に感じたディズニーのわくわくも、電車に乗るだけで楽しかったあの感覚も、初めてコンサートに入ったときに感じた大きな感動も、初めて好きな人と手を繋いだ時の、キスした時のときめきも、もう2度と体験できないものであるのと同じで。

 

回数を重ねたらまた違った感覚になるんだとは思うけど、やっぱり初心は初心にしか過ぎない。寂しいね!!!めっっっちゃ寂しい!!!

 

でも、その寂しさを感じてなかったら、求めてないし、好きを持続できていないし、やっぱり寂しくてよかったなあって、思いませんか。

 

なにかがおわった後の空虚を、愛おしいって、思いませんか。

 

 

 

 

 

高校を卒業して、1人暮らしを初めて、1人でいる時間が増えて、あんなにだいすきだった1人の時間が、もう、さみしくて怖くて。

やっぱり「今すぐ誰かに会える状況下の1人」と「ただただ1人」は違うなって実感したの。

 

でも、この本を読んでから、この文に感化されてから、その「寂しい」すら今は愛おしく感じる。

私の中に、気持ちが熱くなるような、癒しを感じるような、人や空間が、複数存在するから、寂しいと隣り合わせの状況だからこそいつでも一人じゃない気がしてる。

 

そりゃ寂しさは消えないよ!!!寂しいもんは寂しいよ!!!「会いたい」とか「行きたい」とか「冬になってほしい」とか「洋服ほしい」とか「高校生に戻りたい」とか、数え切れないほどの欲を我慢できるほど大人ではないし。

 

でもそれを愛せるか愛せないかで心のあったかさはぜんぜん違うなあって。

現実的な話すると、鬱になりかけた時に、ただ愛せるものがあるだけで死にたくなることが減ったの、私の場合はね。

その愛せるものの対象が「寂しさ」だったら、もう無敵説ない?いや無敵だよね?しかも

好きなものに与えられる寂しさならよくない?むしろエモくない?メンタルヘルス的発想かなそれは()

 

 

 

とにかくね、寂しいと隣り合わせの環境すら愛する意味はあるんだって、この本を読んで知ったの

 

 

 

私本当はクソみたいな恋愛しかできなくて、恋愛っていうか疑似恋愛。とりあえず駆け引きして、転がせられたらキュンキュンして、すきになられたら終わりで。みたいな。いやまじでクソ。

今のかれぴと付き合うまではずっとそうだった。生意気なことに小学生からずっと。恋ってなんですか本当に相手を想うだけで涙が出るような感情って存在するんですか恋愛ってひとときのときめきのことじゃないんですか。みたいな。まじでクソ(n回目)

 

 

ジェットコースターみたいで楽しかったけど、計算してる私を好きになってもらうってすごく、なんかすごく、寂しくって、その寂しさは愛しさとはかけ離れてて、ただの空虚にしか過ぎなくって。

安定よりは遥かに楽しかったし、周囲の人もきっと前の私の恋愛事情の方が楽しんでくれてたけど、それと同時にたくさんの人傷つけたし振り回したし泣かせたし、後悔はしてない()けど反省はしてるよ!!!!でも楽しかったのは事実(反省してるよ)(してる)

 

 

でもそんな自分の曲がった恋愛観も愛してはいたつもりだよ。だからこそまともに恋愛できない自分になんともいえない寂しさや虚しさを感じることもあったけど。

 

そうやって全部を綺麗なフィルターに通して、言ってしまえば正当化なのかもしれないし、綺麗事なのかもしれないけど、この本を読んだお陰で少しは自分にない観点を持つことができたのは事実。

 

 

大事なのは認めること。自覚すること。呑み込んであげること。自分の感情を全部まとめて。それに気づいてから救われた気がしてね、だからこの本をおすすめしたい。心の底から!

 

 

 

 

1つの出来事に発生する理屈・感情は、自分が気づいてないだけで1つじゃないかもしれないよっていう素人の戯言^^

 

 

 

 

ヲタクをやめました。

 

 

 

 

まず、

平野紫耀くん、デビューおめでとう。

 

 

 

 

 

遅くなりました、半年経ってやっと、この日のことが語れます。やっとだよ〜本当にやっと。

 

先に言っとく!!!!!!自己満足ブログでしかないです!!!!!

 

 

 

それは唐突で突拍子もなくて。

とか言いたいけど実はね、過去のツイート見返してたらデビュー発表2日前に「デビューしたらどうしよう」って呟いてたの。なんの感覚かもわからないけどふと思って、怖くなったんだ。なんか急に平野くんが居なくなるような感覚に陥って、なんだったんだろう。あれ。女の勘としか言いようがないよね。

 

 

 

 

深くは語れないけど、ずーっと、ずーっと、やりたいことがあって、それを捨てきれなくて。それは平野くんがくれた大切な人生で、未来だって、私は解釈しててね。

 

 

そして私がその夢を叶えることで、平野くんがアイドルをやっていた意味が、もっともっと大きくなる気がしたの。

 

幸せはたくさんもらった、十分なほど。

想いを馳せるだけで、幸せで涙が出そうになるような記憶で溢れてて。いつだって前を向けたのは平野くんがステージの上で輝いていたからだし、平野くんがステージの上で辛い表情を見せなかったからで。

 

 

宗教に近かったのかもしれないけど、

アイドルとファンの共依存関係は金銭面以外でのデメリットはなんにもないような気がするの。失ったものは何もなかったの。

 

 

 

 

 

 

デビュー発表1日前(1/16)

私は帝国劇場で彼の姿を見ていて、もうその時には決意してて、もう一公演入るつもりだったけどその日言わなきゃ言えないような気がして、その日の夜に、泣きながら小規模アカウントでやめるってツイートした。

 

 

デビュー発表日(1/17)

呆然としていて、ただただ、おめでとうの情しかなかった。漠然としすぎて、あんまり揺らがなかったなあ。実感も何もなかったから。

 

 

 

デビュー発表翌日(1/18)

最後の帝国劇場、最後の平野くんのパフォーマンス。最後の帝国劇場の匂い。最後のジャニーズjrの平野くん。

ぜんぶぜんぶ目に焼き付けながら、心に染み込ませながら、大好きだったダンスに見惚れた公演だった。

 

そして、はじめましての平野くんにも会ったんだ。はじめましての清々しい表情と、なんか、ずーっと見てきたお顔だけど、知らない人みたいで、涙が止まらなくて、目に焼き付けるの大変だった(笑)

 

 

 

こうして私のオタク人生はおわったの。なんたるタイミング…って感じよね。もともと持っていたチケットの間の日、辞める宣言の次の日にデビューしてくれちゃうんだもん笑やってくれるよな。ほんとに。

ごめんだけど、感情が忙しなくて、大光さんを見てる暇そんなになかった(笑)

やっぱり平野紫耀の生き方が私は好き。って実感した日でもあった。最初で最後のファンレターも出した。

 

 

 

辞めたからこそ思う。

 

自担はね、

おたくとって運命の人で。

 

自担にとっておたくは運命の人じゃないけど、おたく一人一人にとっては運命の人だと思うよ。私は。運命変わってるんだもん実際。

 

 

ファンをやっていたからこそ、行けた場所、出会えた人、見れたもの、感じたこと。

 

影響は連鎖する。

始まりはぜんぶ、平野紫耀っていう当時17歳の男の子の努力だったね。

 

 

 

 

 

そして辞めたからこそ思うことがもう1つ。

 

あれだけ熱を注げるもの、絶対絶対手放さない方がいい。私は自分から選んだけど、自分から選ぶなんて無理にはしない方がいいと思う(笑)止むを得ずの場合以外はね。

活力。っていう単純で簡単で安そうなものが手元にあることがどれだけ安易にできることじゃない事か。

好きを継続させる努力をすれば、数十倍の幸せが返ってくると私は思うよ。

 

 

 

 

 

 

最後に。

 

きっとこれからも私はあの青春に想いを馳せたり、辛くなった時に縋ったり、あの時の熱を語ったり、すると思うんだ?でも、これから物凄い辛い時に平野くんが手を広げて待っててくれてるとしても、絶対に絶対に、戻ることはしないって誓うよ。だってさ!かっこわるいもん!大切な人がくれた大切な夢、そう簡単に諦めたくないに決まってる。

だから、大好きだった!それだけで頑張る。誓うから。これは私と未来の私の契約書でもあるからね。

 

 

 

 

 

平野紫耀くん。

最高の青春をありがとう!!!!!

デビューおめでとう!!!!大好きだったよ!!!!!

 

 

 

 

ヲタクでいることの話。

 

 

 

くっそドアホJKの書くこんな底辺自己満ブログ、開いてくれてありがとうございます!!!(土下座)

 

askでも常に思ってるんだけど、好きですって伝えてくださる顔の見えない皆さんが私は好きです。理論脳だから「「好き」の定義は〜」とか考えちゃうめんどい脳みその私が、好きだ!って理屈でなく自信を持って言える。好きです!好きだ!すき!Suki!

 

 

 皆さんが私の生活に色を付けてくれてること。これ間違いないから。ありがとうございます…素晴らしいことだよマジで…大光さんに感謝…ジャニーズに感謝…

 

 

今回ね、書きたくなった理由が(「りゆうが」で龍我って予測変換出てきたコワイ那須なのかな)

 

 

 

関ジャニのヤスの

「アイドルの本質は都合のいい存在であること」

って記事にめちゃくちゃ触発されて色々思うことがあったんですよ。半年前くらいの記事かなあ。もうこの見出しの一文だけで「わかるそれなわかる!それだ!それだよ!(滲み出る偏差値)」ってなったやつ。

 

今回の結論はまだわかんないし、今思ったことをそのまま書いて整理して、1人で自己解決したいな、って。それを文字にしたいなって思ったの。今回(も)つまんないよ。いいかな。やべえつまんないよ。迷走しまくりだよ。

 

 

 

 

 

私の中の「アイドル・ファン」の定義

 

前に大光くんと紫耀くんのブログを書いた時に色々述べたと思うんだけどあの時は結果が見出せなくて、モヤモヤしまくった結果「私は私なりにヲタクでいることを楽しむ!なににもとらわれねえ!担当の定義は人それぞれ!」って全部ぶん投げたんだよね。

 

 

きっと私が今ここでいろいろ述べたところで響く人響かない人色々思う人いるだろうし、同じ言葉でも捉え方はそれぞれだし、言葉は抽象的だから「わかってるようでわかってない」が当たり前の世界で、全てがわかるなんてことありえないし、個々には分かり得ないことなんですよ。私が、私の感情にハマる言葉を見つけて発信したとしても捉え方が違ったら私の感情は届かないんだよね。それはもう人間の本質的な問題になっちゃうんだけど。

 

それを理解した上でお読み頂けたら嬉しいです。

(ごめん私今日猪狩先輩みたいなことめちゃくちゃ言うかもしれない。)

 

 

あくまでも私の意見です。

強要してるわけではないし、一種の「そういうタイプのヲタク」って箱にしまっておいてくれれば嬉しいです。箱はたくさんあるよ。たぶん同じ箱に入ってるヲタクって数名しかいないんじゃないかな…

 

100%分かり合うのは個人である限り無理だろうけど、ちょっとでもわかる!って私と近い箱にいるなら仲良くなりたいし、むしろ全然理解できないなら思ったことを教えて欲しいです。それでこそ人間。楽しい。

 

言葉にする時、何事に関しても正解はないんじゃないかなあ。「意見が違う」は批判じゃなくてただの"個人"にしか過ぎないんです。(訳:ひはんこわい)

 

このブログ読んでムカついたなら批判になりますね…それは是非教えて欲しいです…秒で消します🙏🏻

 

 

 

 

 

前置きはこれくらいにしておくね。

 

ヤス。

その発言をヲタクが押し付けるわけでもなく、アイドルご本人の口から発せられたことに何よりもの意味があって。それが素敵で、漠然としてるんだけどどうしようもなく愛しいと思ったの。ぎゅーって、きゅーってなった。いとしいだよ。

 

 

切なくもなったけどね。

 

私たちはきっとアイドルがいなくても生きていけるけど、日常に濃い色をつけてくれるのは紛れもなくアイドルで。

それはきっとジャニヲタに限らず熱中できるものがある人みんなそうだよね。

 

応援するのが楽しくて、毎日に色がついて、いろんな景色を見れて、今までにないことを経験して、きっともう戻れない。だって楽しいんだもん。

 

もしかしたら「応援すること」で自分の存在価値を見出したり、「楽しい」だけじゃない理由の時だってあるよね。悲しい感情があるから縋る時だってそりゃあるよ。それもアイドルが都合のいい存在でいてくれるから。

 

 

でも、今の趣味を越す趣味が見つかったら。もっと楽しい世界があったら。「あのひとの成長」を辿って行ったら「楽しい」がそこにあって、越す物が見つかったら、越す相手が、もっと大切な何かが見つかったら。情を捨てた先になにがあるのか。

 

なんて、寂しいこと言いたくないけどね。きっと、うん、人間ってそうなんだよ。(言いたくない)

 

 

どんな趣味もきっと主導権はこちらにある。

 

たぶん「都合のいい存在」ってそういうこと。

 

頼まれて応援するなんておかしいしね。

 

 

 

でもこれは私たちファンが主観の話。

 

 

 

 

 

 

自分がアイドルだったらって考えてみたんだけど、

明日、自分を好きでいてくれるかわかんないファンの子をどうやって幸せにできるか。みんなみんな、今日と明日の勝負なんだ。って。

夢はデビュー!って公言してたとしても、それって今目の前にいるファン一人一人が命取りでもあり、命の恩人でもある。今日好きでいてくれてる子に明日も好きでいてもらわなきゃいけない。そもそもデビューする方法はそれしかなくって。

 

そんなの、毎日が戦場よね。

 

人間だから私情が挟まることもあるだろうし「みんなが笑顔になれるように活動してる」きっとそんなの二の次だろうし、業務的。ヲタクを繋ぎ止めるための策略かもしれないし、本当に思ってる部分はあったとしてもそれが自分にとってもヲタクにとってもメリットでしかないことだから公言できる。アイドルを信用してるしてないの話じゃなくて、それが当たり前であり、人間としての本能だよなあ。(夢の定義について考え始めそう)

あんなに大勢イケメン思春期男子がいて、全員が全員「人のために生きたい」って思ってるわけないじゃないのなんて誰もがわかってる上で口に出さないじゃん。ずるいじゃんそんなの。

 

でも、「誰かが自分の力で笑ってくれる。」

それが嬉しいのも絶対だと思うし、それも人間の本能だと思う。

自分のためか、人のためか、なんて情緒によって比率は変動するとも思うけど。

 

これはアイドルが主観の話。

 

 

 

余裕を持てたデビュー組のヤスが言えた言葉が「アイドルの本質は都合のいい存在であること」

 

 「頼りたい時に頼ればいいし、離れたいなら離れて生活を謳歌しなね」を難しく言った感じなのかなあ………

 

そりゃあヤスだって人間だから、全員が離れて行ったらシンプルに悲しいと思うし、私だったらくそ病む。むり。まぢむり卍

 

自信と、自信を持てるくらいの実力と、ファンとの信頼がそこにあるから言えたことであるのは間違いないと思うんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

何かを考える時、必ず一度は相手になってみるの脳みそで。100%は理解できなくとも見えるものが必ずある(気がする)

 

 

ヤスがどんな人間なのかは知らない。私は全く知らないけど、関ジャニ∞のファンでもないただのジャニーズjrのファンの私が、ヤスの言葉にこんなに感化されて動かされて色々考えさせられるって、なんか、エモい(語彙力)

 

 

 

色々掘り下げてみたけどね、結論は、うん、結論は、ヤスの言葉でしかなかった(白目)

 

まあ逆に言ったら、私の書いたこのなっげえスッカスカの文章をぎゅっと濃密に簡潔に伝えてくれたのあの一文。あの言葉が頭に浮かんだヤスの脳みそって天才すぎてやべえわ……

 

それが他の誰でもない当事者の口から発せられたことにも意味があると思うし。

 

 

まあ私は!!!

これから先、もしかしたらもっと楽しい趣味を見つけるかもしれないし、他の生き甲斐を見つけるかもしれないし。もちろんこれからもずっと応援するつもりだけど、そんなの今日の私が言ったところで説得力なんて少しもないから、

 

 

でもね〜、いい?いい?

 

 

 

紫耀くんも大光くんも、2人を見てきたことで作り上げた環境も友達も、思い出も、手放せる気がしない。

 

 

 

未来に説得力はないけど、過去に説得力は存在するから、「傾向」は無視していこう。「好き」「楽しい」それだけでいいや。

 

 

頼っていくよ。都合のいい存在に頼りまくるよ。

 

そのうち頼ることでしか生きていけなくなって、都合のいい存在どころか、世界の中心になっていくの

 

これをと呼ぶんですよね…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

佐々木大光くんの話。

 

 

 

 

 

初めて佐々木大光くんを見たのは

(たぶん)ジャニーズワールド。

 

 

当時中学1年生の彼は、クラスメイトJとして出演していた。

キッカケは、帝劇地下ですれ違ったこと。それをキッカケに出てくるたびに「おーあいつか」と謎の親近感が。

 

 

平野担の私は盲目すぎるが故に

双眼鏡で平野紫耀を見ることしかしなかったし

他のジュニアに注目する気もさらさらなかった。

 

注目してみたら、スゴイ。

 

 

 

とにかくダンスが、踊り方がスゴイ。

しっかりしてて、キレキレで。

 

かっこいい…カッコいいがすぎる…

 

 

あとビジュアルが好み。

髪型と輪郭とガタイが好きすぎる。付き合ってくれ。

 

 

友達に見せたら、

「カメラアピールしないところとか踊り方とか、平野っぽいよね〜お前の好みなんかわかるわ〜」

 

…たしかに。

 

 

 

 

 

 

 

注目しなかったから、見なかったから

 

すごさに気づかなかっただけで、

「ああ、これは入所1年目でも抜擢されるよな」というような実力を持っていたのが佐々木大光。

 

 

 

行くたびにチラチラ気にするようになった。

 

佐々木沼に、私のつま先が入った。

 

 

 

 

そして、ウェルセク。

 

自担が出てない現場もめちゃくちゃ行くんです。

 

平野紫耀は叫ばず見たい(視界を揺らしたくない)けど

他は叫んで騒いで楽しむ、そんな私は自担がいない現場が楽しくて仕方がない。

 

 

その日、ちびジュの豊田陸人くんに沸いてた私は、

中盤で見つけてしまった。彼を。

 

 

君の名は。

 

 

佐々木大光。

 

 

 

 

焦った。

 

 

 

盲目平野担の私は

「しょおしか見えない」で生きてたし

「しょおがかわいい」で酸素を吸ってたから

 

 

しょおじゃない子が脳裏にいる自分に戸惑いが隠せなかった。

 

 

 

 

魅了されてしまった。佐々木大光のダンスに。

 

 

 

 

公演後、佐々木大光について調べてしまった。

これが間違いだったのだろう。

 

 

 

 

 

「……………中…2……?」

 

 

 

 

 

何かの見間違いかなんかか、これはいつの資料だ、と

いろんなサイトを漁った。

 

 

 

そして、2002年生まれだということを知り

 

「これを堕ちたというのだろう」という体験をした。世界が怖くなった。

 

 

 

 

 

佐々木沼に、私の膝がのみこまれた。

 

 

 

 

 

 

そして迎えたサマステ

(まだ担降りしてないんかい)

 

 

 

 

初日夜のチケットを抑えた私は

六本木のマックで、平野紫耀のソロがrougeだということを知り叫んだ。店員さんには今でも申し訳なく思う。

 

 

 

そして、佐々木さんがいることを知り

頭を抱える。

 

 

いるのか…彼はいるのか…いてしまうのか…(嬉しい)

 

 

ウェルセクは紫耀くんがいなかったから良かったとしても

紫耀くんと大光くんがいる現場…

気持ちの整理がつかない…3年間掃除してない部屋みたいな状況…(わかりずらい)

 

とにかくそれくらい気持ちがごちゃごちゃ。

 

 

 

 

 

公演後、案の定、魂をEXシアターに忘れた。

 

 

紫耀くんの出番→双眼鏡で黙る

大光くんの出番→叫ぶ、荒ぶる

 

 

お前は二重人格か。って言われた。

入るたびに言われた。入った子みんなに言われた。

 

 

 

そして、夏といえば

なんとなくの気持ちで入ったサマパラ。勝利ソロ。

たまたま初日公演を抑えられたからバックにワクワクしてた私。

 

 

 

 

 

ヤツがいる……

 

 

 

もう彼しか見えなかった。

浮気してるような罪悪感はあろうとも、平野くんは私を知らないし、浮気してることも知らない。こっちのもんだ!って心で思った。てかたぶん口に出した。

 

ラッキー!!!!!って、言ったわ。うん、言ったわ。

 

 

 

二重人格卒業したと思ったのに。

 

 

 

 

 

平野紫耀出てきやがった………(嬉しい)

 

 

 

 

結局は得した。二重人格でもいい。得したからいい。

 

クズすぎて困る。でもいいの。DDなの。

 

 

D(誰でも)D(大好き)というか、

 

S(佐々木)(紫耀)D(大好き)

 

 

SDなの。

 

 

 

 

 

佐々木沼にはもう、腰くらいまで浸かってたかな。

 

 

 

 

 

 

担降りはしなかった。

 

紫耀くんの座長が決まり、大阪にも行ったし

やっぱりメインは平野紫耀

 

呟き率も平野紫耀

 

 

だから、もう完全に佐々木大光はひとときの気の迷いって思ったのに…

 

 

 

ジャニアイ飛ばし、

 

ジュニア祭り。

 

 

 

 

 

自分でわかってても気付かないフリをしていた感情を改めて自覚した。

 

それは叫んだ方が楽しい。

 

 

 

紫耀くんが出番多くてメインでやってて嬉しかった!もちろん!もちろん嬉しかった!

 

ファンサもくれたし(しかも強烈なヤツ)

 

でもファンサもらうことに喜ぶことよりも、目線をこっちにくれてファンサするその絵面を「うんうん可愛い」って目に焼き付けることに集中してた。

 

だから記憶ある。楽しいかどうかは別として、ニヤニヤはする。

 

 

 

 

 

そして佐々木大光。

 

 

 

まずHair。

サマステ!!!!ってなったしシンプルに沸いてた。記憶なし。

 

 

そして私は大光うちわを作ってしまったから(救えない)

構ってもらえて。

 

 

でも、

 

なにあの適当さ。

 

それに沸いた、ただのイケメンじゃん。

 

「俺は媚び売りで客を取らねえんだ」スタイル!?いくらほしいの!?6500円安いですよねえ!?

 

 

それがシンプルな感想。(ここで大光垢を作ってしまった)

 

 

 

 

 

 

 

そしてやられる。たまアリのオーラスに。

 

昼公演のチュー顔だけでもだいぶやられてたのに

オーラスの(だいすき)の口パクよ!!!!

 

 

正直、平野くんが甘い言葉言っても沸かないし

腰振りも沸かない。

でも大光くんは沸いちゃう。困ったもんだ。

 

 

 

なにより、あのテキトーファンサ星人が

チュー顔と(だいすき)ですよ!?!?!?そしてその後の照れ顔!!!!!!

 

 

ファー!!

50000円払える!!!!!

ファンレに入れればいい!?!?

ブラリですかね!?!?!?

 

 

 

思い出しただけで興奮する。

 

目に焼き付けてないから忘れそうで怖い。

 

興奮と混乱で鮮明に覚えてない。

 

 

完全に引きずり込まれた。一瞬で全身佐々木沼に入ってしまった。

 

 

 

おそるべし、佐々木大光。っと。

 

 

 

 

 

 

 

 

結局

 

「自担」とはどっちの気持ちが正しいのか。

 

 

それは今でもわからないし、一応平野担。

 

 

そもそも「担当」って言葉も「担降り」って言葉もラインはわからないから

私は私なりに、枠付けしないでドルヲタでいることを楽しもうと思う。

 

 

 

 

 

そして今日も、少クラを見て気持ちが整理できなくて困る(幸せ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平野紫耀くんの話。

 

 

 

なんだこいつ。

 

平野紫耀を見た私の初めての感想。

ここにきていきなり暴露(?)するけど、つい最近まで平野紫耀くんを筆頭にジャニーズJrを見守ってました。

 

彼の沼は深い。

それは今も変わらず、

この人がこれから見ていく景色を見たい。と思っている私が1番初めにみんなに伝えられること。

そう、彼の沼は深い。

 

 

 

初めに、実力

 

ダンス、アクロバット、歌唱力、演技力。

そして、特技等(バトンにローラー、和太鼓やサックス)

 

アイドルを応援する上で重要視しなければならないものが何1つ劣っていない。彼は前世で何をしたのか。どんな徳を積んだのか。それともクレオパトラかなんかだったのか。解明したくて仕方がない。

 

 

 

 

次に、ビジュアル

 

 

私の中で、ビジュアルは二の次で。

でも、そこら辺歩いてたら道行く人が8度見くらいするか、ガン見するかの二択かな、と。

 

それは認めるし、わかる。私でもわかる。

 

彼の顔は正直タイプじゃないけど、それでもイケメンなのはわかる。認める。(上から目線…ごめんまじごめん違うんだよごめんイケメンです美少年すぎるのはわかってる)

 

 

 

 

そしてなによりも、見え隠れする闇

 

 

カメラアピールが比較的少なくて、

カメラをあまり見ない彼の目線は基本伏し目がちで。

それがとてつもなくエロくて、とにかくエロくて。エロくて、エロいんだ。

 

今年成人を迎えた今は特にすごくて。

彼は年齢相応のエロさで、成長と共にエロさが増すんですよ。

成長が楽しい。というジャニーズジュニアの醍醐味を存分に楽しめる。

 

 

 

 

そしてどんどん決まっていく現場

 

 

正直、これがすごい。彼はこれがすごい。

 

成長が目に見える。

そして毎度毎度「応援しててよかった」と思わせてくれる。

 

 

それは全ジュニア担が自担に思っていることだろうし、盲目は仕方ないから見逃してくれ。

 

だけど、

大阪からスタートした彼の芸能活動は著しく大きくなっていく。

 

 

関西の松竹座から出られない関西ジュニアがたくさんいる中で出てきた紫耀廉。

ゲストとして出演していた帝国劇場で、メインメンバーとして出演。

ジュニアとして大きな爪痕を残したサマステのサポーター。

そして、平野座長。

 

 

決まる現場の規模がどんどんでかくなっていくと同時に、どんどん前列に出てくるから応援してて楽しい。

「次は何をやってくれるんだろう」と期待でいっぱいだし

「彼ならやってくれる気がする」心からそう思える。

 

 

平野座長を見に行った時は

戸惑いと嬉しみと感動で、視界が歪んで目に焼き付けられなかった。どうしてくれるんだ。。

 

 

 

結果

 

彼を応援しない理由がない。

 

 

 

 

応援してて楽しい、それは「ドルヲタ」である以上

何に変えてでも守らなきゃいけない感情であると思うんだ。

 

 

 

その対象が平野紫耀であることは今も変わらないしこれからも変わらない(と思う)。

 

 

 

最近、「平野紫耀が好き」と言うと

「あ〜紫耀ね」って反応される。

 

それは「彼の担当」が少なくない証拠だと思う。

昔は伝わらなかったり、マイナーで驚かれたりしてたけど最近は知名度も上がってきてデビュー担にも通じる。嬉しくて仕方がない。

 

 

 

そういう目に見える成長

 

が大好物で、毎日食べたい。

結果毎日まいじゃに懐古ババアしてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、最近私の脳内を占めている存在。

 

佐々木大光。

 

それはまた、別のブログで。