情緒の記憶

「かんちがい」

すきとさみしいの話。

 

 

 

「真夜中が寂しくてよかった。季節も雨も香りも、寂しくてよかった。ディズニーランドもプラネタリウムも、放課後も帰り道も、青春も、寂しくてよかった。」

 

 

これは私がいちばん好きな、私の参考書とも言えるエッセイの一文です。

 

エッセイや精神論の解釈の仕方って、個人差があると思うし、自分の精神状態や環境でも変わってくると思うのね。だから、今の私の捉え方を綴っておきたくなりました。みんなの捉え方も知りたいから「いつか別れる。でもそれは今日ではない」買って!!そんで読感送りつけてきて!!!お願いね!!!

 

 

 

まずこの一文を読んで気づいたことは

 

「寂しいから好きなんだ」です。簡単にいうと、「好きだから寂しい」。

 

 

終わった後寂しいからリピートしたくなるし、好きだと思える。好きだって思えるものはきっとそれをしてる時間よりそれに想いを馳せてる時間の方が長い気がするんです。その間に愛が膨らんで、好きだと思えて、それ自体が好きだというよりは、それに心を寄せてる時間が、なによりも好きなんだ、と。

 

"それ"は人それぞれだと思うし、"それ"が空間なのか、物なのか、人なのかも人それぞれだとは思うけど、作者さんがはっきりしてるようでしてない言葉の選択をしてくれるので全員に当てはまれるような文章でした。素敵か。

 

 

好きなものはずーっとしてたいし、ずーっと求めてるし、ずーっと探してる。でもきっと、ずーっとあったら、好きじゃなくなる。

「デートは盛り上がったところで切り上げろ」といろんな所で耳にするけど、きっとそれと原理は同じで。ずーっと好きなもので楽しむためにはずーっと好きでいなきゃいけなくて。そのためには、ずーっと恋しく思ってなきゃいけない。好きなものに対しての感情は「8割寂しさ:2割好き」くらいが丁度いいんだ、と改めて思えました。

 

ヲタクしてる時にさ、もちろん、寂しい時間の方が多いわけじゃん。会えないし!会えても2時間だし!!ファンサくれるかどうかなんて賭けだし!!!

 

私は、現場が決まった2ヶ月前、それを糧に頑張れる1ヶ月前、わくわくしだす5日前、どきどきする当日。終わった後の余韻。その全てが捉え方によっては寂しい時間だと思うんです。

 

 

でも、「楽しみ」とも言える。そこに大きな好きがあるから。2時間のために、2ヶ月も前から下準備して、想いを寄せて、ほんっっっっとにヲタクって可愛いよなあ(なんの話)

 

だから、好きと寂しいは紙一重だなあって。

 

人は悲しくも慣れてしまうものだから、求めるけど、手に入ったらなんか違うってなると思うんだ?

小さい頃に感じたディズニーのわくわくも、電車に乗るだけで楽しかったあの感覚も、初めてコンサートに入ったときに感じた大きな感動も、初めて好きな人と手を繋いだ時の、キスした時のときめきも、もう2度と体験できないものであるのと同じで。

 

回数を重ねたらまた違った感覚になるんだとは思うけど、やっぱり初心は初心にしか過ぎない。寂しいね!!!めっっっちゃ寂しい!!!

 

でも、その寂しさを感じてなかったら、求めてないし、好きを持続できていないし、やっぱり寂しくてよかったなあって、思いませんか。

 

なにかがおわった後の空虚を、愛おしいって、思いませんか。

 

 

 

 

 

高校を卒業して、1人暮らしを初めて、1人でいる時間が増えて、あんなにだいすきだった1人の時間が、もう、さみしくて怖くて。

やっぱり「今すぐ誰かに会える状況下の1人」と「ただただ1人」は違うなって実感したの。

 

でも、この本を読んでから、この文に感化されてから、その「寂しい」すら今は愛おしく感じる。

私の中に、気持ちが熱くなるような、癒しを感じるような、人や空間が、複数存在するから、寂しいと隣り合わせの状況だからこそいつでも一人じゃない気がしてる。

 

そりゃ寂しさは消えないよ!!!寂しいもんは寂しいよ!!!「会いたい」とか「行きたい」とか「冬になってほしい」とか「洋服ほしい」とか「高校生に戻りたい」とか、数え切れないほどの欲を我慢できるほど大人ではないし。

 

でもそれを愛せるか愛せないかで心のあったかさはぜんぜん違うなあって。

現実的な話すると、鬱になりかけた時に、ただ愛せるものがあるだけで死にたくなることが減ったの、私の場合はね。

その愛せるものの対象が「寂しさ」だったら、もう無敵説ない?いや無敵だよね?しかも

好きなものに与えられる寂しさならよくない?むしろエモくない?メンタルヘルス的発想かなそれは()

 

 

 

とにかくね、寂しいと隣り合わせの環境すら愛する意味はあるんだって、この本を読んで知ったの

 

 

 

私本当はクソみたいな恋愛しかできなくて、恋愛っていうか疑似恋愛。とりあえず駆け引きして、転がせられたらキュンキュンして、すきになられたら終わりで。みたいな。いやまじでクソ。

今のかれぴと付き合うまではずっとそうだった。生意気なことに小学生からずっと。恋ってなんですか本当に相手を想うだけで涙が出るような感情って存在するんですか恋愛ってひとときのときめきのことじゃないんですか。みたいな。まじでクソ(n回目)

 

 

ジェットコースターみたいで楽しかったけど、計算してる私を好きになってもらうってすごく、なんかすごく、寂しくって、その寂しさは愛しさとはかけ離れてて、ただの空虚にしか過ぎなくって。

安定よりは遥かに楽しかったし、周囲の人もきっと前の私の恋愛事情の方が楽しんでくれてたけど、それと同時にたくさんの人傷つけたし振り回したし泣かせたし、後悔はしてない()けど反省はしてるよ!!!!でも楽しかったのは事実(反省してるよ)(してる)

 

 

でもそんな自分の曲がった恋愛観も愛してはいたつもりだよ。だからこそまともに恋愛できない自分になんともいえない寂しさや虚しさを感じることもあったけど。

 

そうやって全部を綺麗なフィルターに通して、言ってしまえば正当化なのかもしれないし、綺麗事なのかもしれないけど、この本を読んだお陰で少しは自分にない観点を持つことができたのは事実。

 

 

大事なのは認めること。自覚すること。呑み込んであげること。自分の感情を全部まとめて。それに気づいてから救われた気がしてね、だからこの本をおすすめしたい。心の底から!

 

 

 

 

1つの出来事に発生する理屈・感情は、自分が気づいてないだけで1つじゃないかもしれないよっていう素人の戯言^^