情緒の記憶

「かんちがい」

境界線

 

 

 

 

恋愛感情と友情の境界線ってなんだろう

 

 

 

 

って、みんなもきっと知っているであろう()ある友達とファミレスにいたときに、私がふと口に出した時から、私と、その子と、遠くにいる素敵な思想をもった友達の3人で長々と考えてたのね。

答えがわかったから綴るってわけじゃないけど、なんかちょっとスッキリした気持ちを見つけたから、記しておくね。

 

私が思ったのは、んー、私の経験からすると、恋愛感情って存在しない。

 

設問から逃げたわけじゃないけど、いろいろ考えてたどり着いたのがここ。そもそも2択で考えてたのが間違ってた。ちょっと柔軟な思考で、斜め上から考えた時に、あれ、そもそも恋愛感情ってなんだ。って。

 

愛情を感じる瞬間や、確認する瞬間、芽生える瞬間って分かりやすいくらい分かる。悔しいくらい。怯むくらい分かる。

 

けれど、恋愛感情を感じる瞬間、芽生える瞬間ってわからないなあと思って。

 

存在自体を無くしてしまうことほど切なくてつまんないことってないと思うけど、大好きな人ができたにもかかわらず、未だ、私のこころの中に恋愛感情って存在してない。

私の恋愛の形がそうなだけなのかなあ。抱く気持ちが、大きすぎるのかなあとも思うけど。

 

 

ネットで「恋愛感情」って検索しても「恋愛感情 ない」「恋愛感情 わからない」

友達の話聞いても「好きって何?」「好きがわからない」

めちゃめちゃ分かる。本当に本当にわかる。私もわからないもん。

 

 

 

きっとね、恋愛感情っていう幻想、世界が創造しすぎてる。

彼氏とか彼女とか、すきぴとか推しとか、そんな類の存在を代名詞にしてしまったことがそもそも違う。

 

 

私の中で、恋愛感情はときめき。「どちらかといえば好感」な相手に「当たり障りのない程度のキュンとくる行動」をされたら、きっと相手が誰だろうとときめける。そんな気しない?それを恋愛と勘違いして心の中にしまい込んでる人が多いんじゃないかな。

でも、「推し」の概念があったり、冷静だったり、淡白、感情を並べ出して客観視できる人、は、勘違いしない傾向にあるかなって思う。私の周りの感じだと。総括して表現すると自頭がいい人。

 

 

 

じゃあ、愛情ってなんだ。って、なるよね

 

 

愛って、それを向ける相手が動物だろうと同性だろうと、生命のないものだろうと芽生える感情っていう印象。

 

私が愛を感じたのは、

笑ってる顔が好き、から、眠っている顔が好き。に切り替わった瞬間かなあ。

 

 

 

 

わかりやすくいうと、友情や人情、温情っていう大きな箱の中に、愛情っていう小さな箱があって。

 

その大きな箱だけに入ってる人か、大きな箱の中にある小さな箱に入れているひとの二択。

 

 

だから境界線が難しかったんだって思って。選択肢がそもそもくっきり二つに分かれているわけじゃないから。

 

 

それでね、すっきりしたの!

 

 

愛なんて、それはみんなわかるよね。恋愛感情の進化系が愛なわけじゃない。

 

愛しいとか、自分のことが疎かになっても何かしてあげたいとか、自分よりも幸せになってほしいとか。

 

そうやって考えたらなんか、簡単になった気がするの。

「ときめき」を勘違いして付き合ったり、好きになった過去はいい思い出ない本当に(笑)慣れちゃうんだもんときめきって。なくなるもの、当たり前に。

楽しさやわくわくを選ぶならときめきを推奨するけど!!その手の話もだいすき!!!恋愛観はカスだから!!!

 

 

ていう、私の見解。

 

今の私は、恋愛を知って、前より人間味が増したって友達に言われてね。

淡白で、全部どうでもよくて、だからこそ自分の世界を保てて、そんな私はもう居なくって、それはちょこっと寂しかったりもするし、今はアンバランスすぎるし。

まだ恋愛と私を上手に天秤にかけて、幸せを心に染み込ませたり、その天秤のうえで、自由にしたりできる余裕はないけど。

 

 

 

今の私のバランスだからこそ見える世界と感じる空気があるから、刹那を愛したいなあ。

 

 

感情ってたのしい、みんなはどう思いますか。

ベッドに潜って寂しさを感じた時に考えてみて。私のこと思い出してみて。

 

見つかったらおしえてね。